2022年に起きた安倍元首相銃撃事件は、日本中に大きな衝撃を与えました。
その背景にある山上徹也の生い立ちには、幼い頃から抱えてきた複雑な事情があると報じられています。
ここでは、事件そのものではなく、「どんな家庭で育ち、何が彼を追い詰めていったのか」という所を見ていきます
山上徹也の生い立ちが悲惨すぎる?
幼少期から続いた家庭の変化、信仰による影響、家族の喪失…。
もし環境が違っていたら、結果も変わっていたのでしょうか。

一つずつまとめていきます!
幼少期

・1980年|誕生
この頃は、周囲の証言から「ごく普通の家庭」と言われていた。
家族がそろい、穏やかな時間が流れていた。
・1984年|父親が死去(4歳)
たった4歳の頃、父親を亡くします。
この出来事は家庭にとって大きな転機となり、
家族の心情や生活のバランスに影響を与え始めます。
・父親の死後|生活環境が徐々に変化
父親が家庭の中心だったため、
その存在を失ったことで家族関係や生活リズムが少しずつ変わっていきました。
その後、母親が宗教団体と深く関わるようになり、家庭の中での「普通の暮らし」が少しずつ変わっていったようです
母親による宗教団体へ

家庭の経済状況にも大きな変化がありました。母親が宗教団体へ巨額の献金を始め
家族の資産や住居も影響を受けたことが報じられています。
祖父からの相続地の売却や、借家暮らしになった時期もあったとされています。
・母親が宗教団体に傾倒|巨額献金が始まる時期へ
次第に母親が宗教団体への献金を行うようになる。
家庭の経済状況に深刻な影響を与え始める。
・ 家族の資産に変化|相続地の売却や生活の縮小
報道では、祖父から受け継いだ土地が売却。
持ち家から借家暮らしへ移るなど、生活レベルが目に見えて変化。
思春期~青年期の頃に、家庭の状況は改善される兆しがなく、
「どう生きていくのか」「家族はこのままで大丈夫なのか」という不安を抱えて育った可能性が指摘されています。
兄弟との関係と心の孤独

山上徹也被告には兄がいて、兄は長く病気と向き合っていたそうです。
兄の状況や、母親の信仰・献金による家庭の変化の中で、山上さん自身も
「家を支えなければ」「何かしなければ」という思いを抱えていた可能性があります。
また、兄弟・家族というよりどころが揺らぐ中で、自分の孤立感や葛藤が深まったことも想像されます。
相次ぐ家族の別れ

そのことは山上徹也被告にとって大きな喪失となり、家族としてのつながりはさらに薄れていきました。
妹の証言によると、兄の死後、家族は人との関わりを避けるようになり、周囲に助けを求める術も
なくなっていったといいます。
事件へと傾いていく思考

山上徹也被告は、特定の政治思想よりも、
家族を追い詰めた宗教団体への強い怒りや恨みを抱えていたとされています。
その感情は長い時間の中で蓄積し、消えることはありませんでした。
そして、自分の家庭を崩壊させた原因と信じていた宗教団体とつながりがある――
そう考えた象徴的な人物を標的にし、今回のような痛ましい事件へとつながってしまったとみられています。
【まとめ】山上徹也の生い立ち

山上徹也被告の背景を見ると、
- 幼少期の父や兄の死、環境の変化
- 家計や家庭内の不安定さ
- 母親の宗教団体との関わりで家族生活が揺らいだこと
- 兄弟関係を含めた家族内での孤立感・責任感
こうした複数の要素が重なり、「自身の人生を変えなければ」という強い思いを生んだ可能性があります
それが、象徴的な人物を標的にし、今回のような痛ましい事件へとつながってしまったとみられています。
背景には「家族・家庭」をめぐる長年の葛藤があったと理解できます。


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